心に残るスピーチ2005

印象深いスピーチ・会話、迷スピーチ、スピーチを通じて学んだこと、気づいたこと等々を主観的に書きます。

東京話し方教室外伝

2004年記事

目次付き

 

15 字を違えて教わった格言
「将たるもの知信仁優厳あらんや」

学生時代の頃、当時42歳の先輩からこの言葉を教わった。
孫子の言葉とのこと。
「将とは人の上に立つもの、そして、そういう者はまず知識だ。・・・・そして優しさ、厳しさは必要だけれどもそれは最後でいい」
その先輩は会社に戻れば部下は50人程いた。上記5つ、先輩は全て兼ね備えているように思えた。そして、話に説得力を感じた。
当時、40歳にはこの先輩のようになりたい・・・と思ったものだが、それは到底無理だと今は思える。

これから10年後、孫子の解説書にて・・・
「将者智信仁勇厳也」
字が違っていた。知は智で、優は勇。こちらの方が正しい。
チの方は意味合いが近いので、こだわらないとしても、優と勇では全く違う。

孫子は中国諸子百家の兵書。軍人を念頭に置くならやはり「勇」なのだろう。
しかし、私は思っている、先輩はわざと字を違えて教えてくれたのだ。
それは、自分の価値観を孫子の一説に投影したのだろう。
そして、私は勇よりも優の方がイイ、目指したいとあらためて思った。


14 寂しさを滲ませながら・・

「心のつぶやきに言葉を」のページでも書いたが、3月は転勤、配置換え等々別れの季節となる。転出する者は一言挨拶(スピーチ)をする。こういうときにもそれぞれの個性が出て面白いことが多い。
 その中でも一番印象に残っているのが、隣の女性係長の挨拶だった。

「私は1課での勤務は4年半、そこを出るとき、とても寂しく思いました。ここ2課はそれに比べると1/3の1年半でしたが、あの時以上に寂しく感じています。それだけ充実していて人に恵まれたからだと思っています。今後も業務は関係します。引き続きお願いします。そして、ありがとうございました。」


彼女は仕事はバリバリ、業務の指示も明快で、明るく、強い。そんな印象が強かった。
それが、先日の送別会には涙を見せ、そして、最後の挨拶は寂しさを滲ませた。
(それも30秒の短い時間の中で)
内容が別れの言葉としてピッタリの上に、気持ちが伝わるスピーチ、しかもユニークだった。
この日、一つの理想形を見た気がした。


13 80%のバリア

教室第5回課題「挨拶を励行して」より
宮本詩織さん
私は、人と対しているとき黙っていることがよくあった。そしてそれをそんなに気にしていなかった。ところが友人から
「あなたといると無言の時間が多くて困る」
と指摘されてしまった。私と話していて退屈そうにしていた相手が、別の人と話し出すと笑いとともにとても生き生きと弾んでいるのが寂しかった。

以降、沈黙の時間が気になっている。
私は会話が苦手なのです。
挨拶をするとその後に会話をしなければならない。しかし、私はその会話が続かない。それが怖いのです。
そう思ってこれまで100%のバリアを張っていました。
でも、今回の挨拶月間、挨拶の大切さを学び、それが80%くらいまで下がったかな?と自分では思っています。」

80%のバリアという言葉が耳に残った。そして、その気持ちも良く分かる気がした。
【相手が別の人と話し出すと急に会話が弾みだす】とか
僕も似たような経験は何度もしているから・・・・。
特に職場の宴会等では・・・。

100%から80%に下げた・・・・表現の妙を感じた。そして、それは本人のナかでは大変に大きなことだと思える。物事が動くとき、それは最初の出だしが一番力が要る、いったん動き出せば、想像しているよりも遥かに簡単に成してしまう。
これは物理に法則だけど人にも当てはまる場合が多い。

この日、宮本さんは飲み会で普通に会話をしていた。動き出した状態だと見える。(本人の中では努力中の状態だったのだろうけど・・・・)
それを暖かく感じた。雪解けをイメージさせるからだろうか・・・・・


12 不合格をきっかけに

先日、教室仲間の送別会が行われた。
「教室レポート」2004年記事「10」(私は良き後継者を得た)で紹介した羽村純二氏である。

彼は、修了生仲間の中でも人気者で送別会には30名が参加し盛大でにぎやかなものになりました。
寂しさもありましたが、笑顔で送ったいい送別会だったです。


一番印象深い話を掘り起こします。

「落ちてよかった」
「僕はメーカーに勤めているけど・・・今年は公務員試験を4つ受験したが、3つ、筆記試験は合格したが、面接で落とされた。そのうちひとつなどは面接官は”いい話が聞けた”など誉められたにもかかわらずです。非常に落ち込んだ。そんな時、インターネットで”話し方教室に行けばよかった”という書き込みを見た。そして、僕も探してこの教室へ来た。ここでは普通には出会うことのなかったであろう人たちを出会えて多くのことを学ぶことができた。これも試験に落ちたおかげだと今では思える。 その後4つ目の試験の発表があった。合格することができた。来春からはそこに転職する。」

 



4つとも筆記試験は合格している・・・・しかし、面接が壁に・・・彼のイメージにピッタリのエピソードでした。
面接での感触が良かったにもかかわらず、不合格となった試験も・・そのショックが伝わってきた。
私は新卒時の面接で3つ続けて落ちたことがあり、そういう時はもううかる気がしなくなりました。そのときのことを思い出していた。
結果的には、教室に来てその途中で合格通知を受け取り、大成功といえるでしょう。
就職試験に落ちるのは、人格を否定されているように感じでペーバー試験に落ちるよりショックが大きい。
それでも”落ちてよかった”(教室に来るきっかけになったから・・・)と。その言葉を述べる羽村君の姿がに自然に見えた。


最後に語られた転職・・・・勤務地は遠方となった。それが今回の送別会だった。


11 情の欠如

以前、すこぶる不愉快な朝礼訓示のことを書いた「5」
このときの課長であるが、もう一つ忘れられない「話」がある。

課のミーティングでのことだった。
課長がほとんど一人で話すことが多い。
一通り、業務の連絡等が終わったると・・・・
課長
「松本は今日無断欠勤しており現在行方不明だ。部長(8月定年)の最後に泥を塗っ
てしまった。まあ停職処分は免れないだろう。第2班は勤務環境に問題があったので
はないか・・・・・・・」

結局、この件で5分以上弁舌をぶっていた。


【背景】
松本君は、仕事場の人間関係で悩みを持っていたようだ。
その朝、家は出たが、職場には来なかった。(近くの河原で時間をつぶしていたみたい)
規則上は「正当な理由のない欠勤」と言うことで処分があります。
ただ、私の感覚としては1日くらい無断欠勤しても今朝「休暇を取る」と電話が
あったとか言うことにしてかばってやるのが普通、と思う。
しかし、そういう処置は一切無く、今回は午前中に報告をして規則通りに処理された。


課長の演説中とその後に私が思ったこと。

「○○君か、おとなしくて結構礼儀正しい感じだった。心証は良い。班長や先輩から
もそう思われていたのでは?無事に帰ってきてくれて以前同様に勤務できれば良いの
だけれど・・・・・。
それはそうと、課長は、なんですぐに部長に泥を塗ったとか処分とか言う発想になる
のか。自分の部下なんだよ、行方不明なんだよ、普通の人間なら心配するものではな
いか。それに責任も感じるものではないか?あと、抜けた穴をどうするかを考えるも
のではないか?と非常に不快になった。


いま、その時に考えたことを踏み込んで分析してみると(全て課長のこと)・
・・・・・・・
1 優先順位の間違い
最初に「部長に泥を塗った」との発言しった。こういう事故でなぜ、第一に部
長のことを考えるか。
1 本人の心配
2 今後の方針
3 自分の責任
4 職場の環境(班長の責任)
5 上司(部長)への報告


私が考えれば上のような優先順位になるだが・・・・・・
課長の発想は全く出鱈目。


1  ヒラメの発想

課長は普段から「部長がどう言った」とか「部長が満足した」とか常に部長中心の発想。
こういうのを見て私は「ヒラメ」と密かに呼んでいる。(半年前から)
※ヒラメは上にしか目がついていない。これをもじって上司とか上層部の方しか見ない社員をヒラメ社員という。
内心ではヒラメ社員は結構たくさんいるかもしれない。しかし、それを当たり前かのごとく、堂々と言うのは今の課長が初めてだった。

2  責任感の欠如
仕事が嫌になって休んでいると言うのはおよそ察しがついていた。それなら一緒に働いている
班の問題になるのですが。どちらにしても自分の部下の問題であるには違いない。
それを本人と第2班長を責めるような言動ばかり(第2班長はその場にいました)。
自分は関係ないのか!職場環境が悪いのなら第2班長をおまえが指導しろよ!。
多少とも自分に対する厳しさを持っている人間なら攻める前に自分の責任を感じるものだ。
全く責務に対する認識が間違っている。

3  当事者意識の欠如
「今後の処置」とはこのまま一人抜けたとしたら業務にどの程度支障を及ぼすの
かを考え対策を練ること。課長にはそんな発想は全くなくて「これは停職処分に
相当する」などと評論ばかりしている。他の課のことなら許せるとしても自分の課の
問題で、課長が評論をやっているなどとは到底許されることではない。

4  情の欠如(一番大きい)
本人を責める言葉はあっても心配する言葉は一言もない。これが30数人の部下
を預かる人間の心情か。人を引っ張る統率力や魅力などは皆無であると思えた。
職場ではある程度権限で人動かすことが出来る。しかし、それだけしかない人間を
「ポストでものを言う人間」
職場では軽蔑の意味を含んでこんな風に表現している。


前から課長のことを嫌いでしたが、最近ますます嫌いになり、今回はもっと嫌いに
なりました。

「頭悪い・性格悪い・でしゃばり。何であんな人間が私の上司なのか!」と職場に
残っていた班長(私と課長の間のポストの人)と怒りながら話していました。
班長「俺のこともそんな風に思っていないだろうね」とたしなめられました。
私 「課長と班長では全然違うじゃないですか」と答えましたが、本心です。



冒頭、「忘れられない話」と表現しましたが、怒りと不快感が、このときの演説を忘れさせない、
と言う意味合いで書きました。


10 同じコメントを聞きながら・・・

「李下に冠を整さず」この言葉を久々に本で見た。そして、15年前に聞いた研修中のスピーチを思い出した。

警察不祥事だと騒がれた事件があった。しかし、警察は”不正は無い”という内部調査の結果発表した。一口コメントして”「李下に冠を整(ただ)さず”と反省の弁を述べられた。その談話をネタに朝のニュースでゲストはこんなコメントをしていた。・・・そんなことわざは死語じゃない?もっと分かりやすい言葉がいい。例えば「君子あや浮きに近寄らず」とか?・・・
そのニュースを受けた先輩(50代)研修生のスピーチ
「ゲストは李下に冠を整(ただ)さず」この言葉が死語だって言うんだ。(ところが若い研修員たちはこの言葉を知らない様子だった)・・・まあいい。このゲスト、”君子危うきに近寄らず”の方が分かりやすくていい。などと言っていた。この格言は全然意味が違う。テレビに出てきてコメントしているくらいだから大学を出ていると思われるし・・・そんな者があんな見当外れのことを言っていてる。嘆かわしいことだ。」



実は私も同じに朝のニュースを見ていた。
恥ずかしながら、このときまで私も上記の格言を知らなかった。
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りか 1李下】
スモモの木の下。
――に冠(かんむり)を整(ただ)さず
〔「古楽府(君子行)」による。スモモの木の下で、まがった冠を直そうと手を上げると、スモモを盗むのかと疑われるから、冠を直さない、という意〕人の疑いを招きやすい行為は避ける方がよいというたとえ。李下の冠。
瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず

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このスピーチを聞きながら私は反省していた。
同じニュースを見ながら私は”ナルホドそうだな”なんて思っていたのだから・・・。
そして、そのことをスピーチ者の先輩に伝えた。

しかし、賛成でない部分もあった。そのときのゲストはタレント風の若い女性で、大学を出ているかかどうか?知識や教養を買われて出演しているようには見えなかった。
 もう一点、大学を本当に出ているかどうかは分からないけど、大学を出ていても、それをもって教養者とはみなせない事例は山ほどある。その先輩が大学を出ていない(多分、中卒)から逆に幻想を抱いてしまったのかも知れない。

今、このスピーチを思い出してみて思う”言葉を知っているということは思考を深める”と。
知っている、というのは辞書的意味を知っていると言うのと共に感覚的なニュアンスを肌で感じられる、ことを指す。
(私がまったくコメントの間違いに気付かなかったのは、言葉の意味を理解していなかったから)

そして、あの頃の年配者は学歴はどうであれ、教養があったのだ。
先輩に敬意を抱くとともに、”間違ったまま納得しないでよかった”と私は逆にスッキリしていた。



9 言いたい事は文の命

「話の構成やテクニックよりも話したいことを話すことが大切だ、ということに気付いた・・・・」
第9回目の教室でのスピーチでこういう内容のものがあった。
残念ながらというかエピソードがなかった。
”例えば、先週なら・・・・・・”という例をあげて話せば印象深いものになったと思われたのだが・・・・。


私は、このスピーチを聞きながら、職場の先輩の言葉を思い出していた。
池本「自分で思っているより全然文章が書けない。これ、全然ダメですかね?」
先輩「お前、文章に何が一番大事なものは何だと思う?」

池本「分かりやすいこと?・・・・??」

先輩「わしは、こう思っている。その文の中に言いたいことが含まれていること、だ。これこそが文章(話もそうなんだけど)のだとね。・・・・・お前のこの文章はごちゃごちゃとしていて分かりにくいとこも多い。しかし、言いたいこと、これは伝わってくる。」


8年前・・・・・研修があった。約1ヶ月の長期にわたる。修了後宿題が出る。
「原稿用紙20枚の課題論文を書け!」というものだ。
課題論文といっても、自由題(一様仕事に関連することを書く)。論文といっても、実質作文なのだが・・・・。


この宿題が出ることは研修を受ける前から分かっていた。そして、何を書くかも決めていた。
ところが、いざ書き出してみると、”文と文とを関連づける。適切な語を選ぶ。自分の意見に至る説明を簡潔にする。”これらのことがなかなか出来なかった。
 何とか書き上げて、同僚や先輩に読んでもらった。(1つは、間違い箇所やアドバイスを受けたかったから、2つは、私の意見を聞いてもらいたかったから・・・・・)

そのなかで、ありがたいアドバイスをくれたのが上記の先輩。
「この文と次の文は矛盾している。・・・・前提が一つ飛んでいる。・・・・・なんで、こんなことが言えるのかの説明がない・・・・等々」
言われてみれば、確かにその通りで、私の下書きは分かりにくかった。
何度も書き直した。
上記会話はその最中でのこと・・・・・。

宿題に対し相当弱気になっていた私であったが、
「”文章で一番大切なこと=言いたいこと”は伝わってくる。」
意欲を再び持つのに十分の言葉だった。(先輩は計算しての言葉だったと思う)

この後も、文章の追加・削除・修正を重ねて、自分としては満足できる内容のものが出来上がった。・・・宿題提出。


宿題を提出し、一段落して思った。
”原稿用紙20枚を書く”というのは本人にとっては、思っているより相当大変なことなのだ。一緒に研修を受けた者たちも、大分苦労した、と後々話を聞いた。

苦労は大きかったが、このとき得たものも大きかった。文章について「一皮向けたかな?」と。
この後も原稿用紙5枚程度の作文宿題が出たことが何度かあったが、あまり苦労はしていない。





8 準備もまた楽し!

スピーチは苦しい・・しかし、楽しくなってきた。修了コンテスト時は聞くことがある。
では、スピーチ前の準備はどうだろうか?
今回、コンテストスピーチで共感したものがあった。

■田岡昌盛氏
 
「3ヶ月間通って気付いたこと」
  
人前で話すのが苦手で苦痛だった。が、みんなが上手になっていく様子が見て取れ、自分も考えればそれなりにできることを何度か経験した。こうなってくると現金なもので、スピーチを考えるのが楽しくなってくる。準備すれば上手に出来るんだ!と気付いた。

 スピーチの準備をする間に、頭をひねっているときに今まで埋もれていた記憶から浮かび上がってくる。出来事、気持ち、そして教訓。想い出が多いのは充実した人生。その思い出とは・・・実際にいろいろな経験をした。そういうこともあるだろう、しかし、小さな出来事にでも気持ちが入る。この方が思い出深い充実した、そんな時間を生きることが出来る。・・・この教室でスピーチを何度もスピーチを準備した経験から私もそう思える。。

このように私としては共感の多いスピーチだったが残念ながら受賞には至らなかった。
2つ気付いたことを2つ・・・・・

田岡氏
1 感情表現
  田岡氏、いつも温かい話し方をする人です。ただ、スピーチ内容は辛いことや・困ったことなどがあり、その感情が見えるような表現になれば、スピーチに説得力と印象度が増したであろうと想像できます。
今回の場合、前半、辛そうなそぶりで話されれば、感情移入しやすい。

2 主題
「3ヶ月通って気付いたこと」とは意味的に印象が薄い。
この場合は、「スピーチの準備は実は楽しい!」「準備に労力を裂いてスピーチを楽しもう!」等々にすれば話題に沿ってイメージが湧いてくるかもしれません。




と気付いた点はあるのですが・・・・・・・
「(スピーチの)準備が楽しい」というのは珍しく、そして私が常々思っていることであり、それが嬉しかった。
「スピーチ準備は思い出を掘り起こす作業」私的にはこんな表現なのですが、共感のスピーチを紹介させていただきました。


7 「気持ちが通じた瞬間」をラストに

スピーチではないが職場の先輩がした話を思い出した。

知り合いの娘(中学生?)さんが学校へ行くのを嫌がるようになった。親は心配しながらも学校へは行かせた。

なぜ、嫌がるようになったか?どうもいじめがあるようだ。
母は解決を図るべく学校に相談に行った。何度も・・・・。真摯に対処してくれるそぶりに見えたが・・・。
何度か学校に通う内に”どうも変だ!”と母は感じ始めた。
学校はいじめを解決するのではなくて、それが表沙汰にならないようにもみ消すべく努力している。
そういう実態が見えてきた。

母は学校側には解決できないと悟った。
そして、娘に言った。
「もう、学校には無理には行かなくていいよ」
そのときの娘のホッとした顔が今でも忘れられない。


          2つの点が印象に残っている。
「学校へは行くべきだ!」この両親だけは無く多くの人たちが持つ常識だと思う。私もそうだった。
 「無理してまで行かなくてもいいんだ!」という
発想の転換・・それが状況の転機つながったこと。

2 結び「娘のホッとした顔が忘れられない。」
 (1)娘さん、お母さんが気持ちを分かってくれてよかったね。
 (2)お母さん娘さんと心が通じてよかったね。

決して幸福な物語ではないが、ラストに希望が持てる、印象的な結びではないだろうか!
なお、私が客観的事実を知るわけではないので、この話を元に学校批判をしようという意図はありません。


6 人かカボチャか

先日の教室でのある受講生より・・・
受講生「緊張するからどうしよう」
家族「聞き手を野菜(ダイコン)だと思って話せば緊張しないよ」

そんな会話をして、出かけてきたそうだ。

私が初めて人前で話したのでは・・・・大学生時代の弁論大会でだった(クラスに1人出場との割り当てがある。)そのときは、ものすごく怖くて、いろいろ本を読んだ。
そこにも同様の事が書いてあった。
「聴衆をカボチャだと思えば、緊張しなくなる」


しかし、これは間違いであると思う。
「聞き手の反応を見て通じていることを確認できれば緊張感が和らぐ」(参考「4 聞き手の反応という緒ご褒美を受け取ろう」)と。


我々は人に向かって話しているのであって、それを物だと思い込むことは事実上不可能である。また、物に話すのであればこんな場(教室等)に出てくる必要はない。

もう一点加えると、物に話すのは練習ではありえるが(私も鏡に向かって練習する)、本番にそうだとすると話(スピーチ)する気力が沸きようがない。


やっぱり人に向かって話したいのである。伝えたいのである。それを認めて、聴衆の目を見て話せるよう目指す。そういう姿勢で臨みたい。


5 自覚の有無が印象を分ける


  朝礼話2話・・・・転勤前の職場にて・・・

1 12月の朝礼課朝礼
課長
 「年の瀬も迫った。今取り掛かっている業務は今年中に決済をもらってしまうように。年始早々に部長のところへ決済に伺うと部長も気分を害するだろうからな・・・・・・」

2 2年後、6月の部朝礼
 部長 
「今回所長は、記念日行事に全力投球せよ!というお考えだ。何を馬鹿な!と思う者もいるかもしれないが・・・私は上司の方針には全力を持って勤める、というの心情だ。・・・・こんなことを言うと、また部長のゴマすりが始まった、と思うヤツがいるかもしれないが・・・・・・」

どちらも”ゴマすりのススメ!”というか、そういうことを述べた内容である、が比べてどうだろうか?
1を聞いたとき
・・・お前の行動は部長が気分がいいかどうかが第一優先か!このゴマすりやろう。・・・と大変腹が立った。それに、”ゴマすりのススメ”をさも立派な話しをしている、という得意げな表情を見て・・・”このオッサン、正真正銘の馬鹿だ!”と軽蔑の念がわいた。(一緒に聞いていた同僚の感想も同じだった)

それに比べて2は・・・・
どこか憎めない。(この部長、同僚からはすこぶる評判が悪かったが、朝礼話しに関しては私は好きだった。
)



この違いはなんだろうか?
自覚のあるなし・・・これではないだろうか!
1の課長は、自分の話がゴマすりだという自覚も無ければ、そのゴマすりが”堂々と語られる種の行為ではない”という恥の判断もない。・・・・・この自覚の乏しさと恥知らずさ、それを人に押し付ける迷惑さ・・・これらが合わさってすこぶる不快な朝礼訓示となっているのである。

2の部長は、その自覚と判断がある。それでもあえてゴマすりのススメを説いている・・・・そこが1の課長との違いである。
そして、その違いは聞き手に与える印象に少なからず影響するのである。

4.「聞き手の反応」というご褒美を受け取ろう

昨日は今年初めての合同講義及びスピーチコンテストが実施された。
第19回スピーチコンテストより・・・・・・

渡瀬友子さん(2:46)
「聞き手の反応に気づけて良かった」
「教室(それ以外も含めて)2回目までは緊張して聞き手に目を向けられなかった。
しかし、3回目からは聞き手の人を見ることが出来るようになってきた。
それから少しづつ聞き手の反応を見ながら話せたりしだした。
相槌や笑、そして暖かいコメント、聞き手の反応があって、支えられた。


「聞き手の目を見て話す。」
人の視線に慣れるまではそれを実施することが難しい。
しかし、逆もまた真なり。
「聞き手を見ずに話しているから緊張感がいつまでも持続してしまう。」とも言えるのだ。

話し始める前は誰でも緊張する。そこから徐々に落ち着いてくる、という人は多い。
なぜか?
一つは最初の一言を話せて安心するから。
(最初の一言で躓かないためにも短い簡単な言葉から始めるのが一つの有力な手)
もう一つは・・・・聞き手の反応を見て、自分の話は伝わっている、と・・それを確認できるから・・・
自分の言葉と聞き手の目を見ながらスピーチを進めていくと、一種の対話に近い感覚になる。
それは緊張感が緩和し落ち着きを取り戻すことの繋がるのである。

昔、小さな部屋でスピーチをしていたことがあった。聞き手は8人ほど。
ところがそこへ遅刻した3人が部屋に入ってきた。(ガサガサと)。
私は急に話し難くくなった。音と動き、そして聞き手が話してである私ではなくて、席に着こうとする遅刻者の方に注意を払っているのが分かってしまうから・・・・
「ちょっと席に着くまで待ちましょう!」と私はスピーチを中断した。
(あの時は臨機応変に対応した。と我ながら思ったりします)
やっぱり聞き手に言葉が伝わらないと落ち着かないのだ。



聞き手の目を見ながら話す。・・・・大変難しいような気がする。
しかし、その難しい課題を克服したとき、聞き手の反応に安心できる。=緊張感の緩和・・・というご褒美が待っているのである。
渡瀬さんのスピーチを聞きながら、その初々しい気付きに・・私は上記の体験を重ねて共感したのだった。

3 生き文を目指せ!

「生き文、死に文」という言葉を聞いた(心理セミナー)。気持ちが入っていれば文が生きる。という意味合いだ。
1小学生の頃足が早くてかけっこはいつも一等賞だった。
2小学生の頃足が早くてかけっこはいつも一等賞だった。なので運動会が楽しみだった。


1と2を比べていかがでしょうか?
1が事実を淡々と述べているのに対し、2では語っている人の生き生きした表情が浮かんでくるのではないだろうか。(1が死に文・2が生き文)

前回は「教室レポート」ページで【スピーチのつくり方】の講義を紹介し、【主題】の重要性について述べた。
主題とはそのスピーチを通じて言いたかったこと、教訓やそのときの気持ちなどになるが、これが入ることで生き文になるのである。
スピーチではすべからく生き文を目指したい。
この言葉に触れたときにそう思った。

なお、死に文というのは響きの悪い言葉であるが、事実を淡々と述べる方が相応しい時と場所も多い。説明や仕事等々・・・・。

2 複眼的思考を促す言葉

 「戦前の共産党員は考え方は間違っていたが態度は立派であった・・・・・・・・・・・・
・・昭和33年3月15日、日本共産党の一斉検挙があった。共産党員および同調者の役1600名が一網打尽に逮捕されたのある。このとき警察に連行されたひとびとのうち、私は共産党員ではありません、人違いです、堪忍してください、と泣いてすがった者は一人もいなかった。
彼らは堂々として悪びれず、自分が共産党員あるいは関係者であることを進んで認め、自分及び自分たちは正しいのだと胸を張り、逮捕は不当だと食ってかかった。この人たちの考えは間違っていたけど、人間としての行動は立派であった。彼らのような態度こそ、確信犯と見なすことが出来る。この人たちは人間としての尊厳を持して守ったのである。」

数年前の放送、対談番組「渡部昇一の新世紀歓談」より。上記はゲスト谷沢永一氏の言葉。
ここで政治思想的話題は置くとして・・・・・・
この言葉を聴き、”2つの要素で見る、というのはものの見方を拡げる”といえるのではないだろうか?と思えた。
上の例で行くと・・・・・・ 
1 考えが正しく、人として立派
2 考えは間違っていて、人として立派
3 考えは正しく、人としてみすぼらしい
4 考えは間違っていて、人としてみすぼらしい
(立派の反対語ははっきりとあるわけではないのですが、「みすぼらしい」を使用してみました)

の4パターンが出来上がる。
この4パターンは他でも使える。
例えば、「自分に見える、見えない 他人に見える見えない(もの)」(ジョハリの窓)
     「好き・嫌い している していない」等々

4パターンは物事(特に自分を)を整理しする手法として使ってみるのも一案かもしれない。
さて、1番目の4パターンに戻る。
自分がどれに当てはまるか?誰しも1でありたく4にはなりたくないだろう。
では、2と3ではどうだろうか?もし、2か3かの2者択一ならば・・・・・
これは個々人の価値観で分かれるのではないだろうか?
私は個人的には2でありたいと思う。(スパッとは割り切れないけど)

ともあれ、「人や物事は複眼的に見るべきだ」と言われた気がして、谷沢氏の言葉が強烈に印象に残った。

1 己のスピーチを主観的に(1/1)

池本さんはどんなコンテストスピーチをしたのですか?
教室で何度か質問を受けたことがある。聞きたい気持ちは良く分かる。私も、先輩のコンテストスピーチに興味が湧くから・・・。
私はこれまで自分のスピーチについて書くことにためらいがあった。
それは、客観的に見ることが出来ないから。
聞く立場と話す立場は全く違う。自分がうまく話せたと思っても、「伝わっていなかった」こんな経験もいくつかあるから(教室以外でよくそう思ったことがある)
それに心に残るスピーチというのも変な気がして・・・・


しかし、ちょっと硬くものを考えすぎていたかな?
自分のスピーチも・・・とお手伝い仲間から言われたことでもあるし・・・
ということで、自分のを語る場合は「思い出深いスピーチ」というタイトルのつもりで主観的に書かせていただきます。


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コンテストスピーチ「初めての1等賞は恥ずかしかった」


こんにちは。池本慎二です。
初めての1等賞は恥ずかしかった、というお話です。

私、水泳部でした。中学、高校、大学とね。実力的には予選をびりにならければいい、という程度でたいしたことはなかったです。

で、大学のときの話です。
初めて隣の市の尼崎市の大会に出ました。
他の部員も一緒にね。
申し込んだ種目は100m自由形。いちばんポピュラーなものです。
それはよかった。

しかし、当日会場に行って、出場者名簿を見てびっくりしました。
100m自由形、大学生・社会人の部 私一人しかいません。
他の部員はみんな50mに出場でした。コンテストスピーチ中
ちょっと待てよ!この50mプール、俺一人で泳げってことか、
これはちょっと、いや大きく恥ずかしいなぁ、と棄権したくなりました。

ところが棄権するときは大会本部に申告に行かなければならない。
それもまた嫌だった。
で、結局泳ぎましたよ。

コースは第4コース。予選通過者1位の者が泳ぐコースです。
ピーの音でスタート台に立ちます。
このとき左右誰もいません。
スタンドから「4コース」という声援がありました。
ちょっと嬉しかったです。大きく恥ずかしかったです。

ヨーイ バン!で飛び込みました。
すると、水の中、視界が狭まり前しか見えない。
恥ずかしさがちょっと薄らいで、それが嬉しかったです。

100mなので行って戻ってきたらそれで終わり、
そそくさと逃げるように控えのスタンドに帰りました。

ところが、話はこれで終わらない。
表彰っていうのがあるんです。
一人しか出場していないのだから完泳した私は1着。
恥ずかしかったけど、表彰受けましたよ。
3段の表彰台に立ちました。
このときも左右誰もいません。
「タイム1分11秒いくらか」
私の中ではそんなに悪いタイムではありませんが、
大会に到底通用するタイムではありません。あと10秒くらい早くなければ。
でも、メダルを首にかけてもらいました。

昼間はこんな風に恥ずかしかったんです。
でも、そんなことは忘れて・・・
家に代えると家族に、「これ取ったぞ」とメダルを見せびらかせました。
次の日、学校に行ったときも「これ取ったぞ、取ったぞ」と自慢してやりました。


こんな風に、当事はものすごく恥ずかしかったのですが、今となってはいい思い出です。
こんなことって結構あると思うんですよね。
そして、そういう思い出が多いほど充実した人生だと、最近はそんな風に思っています。

以上
初めて1等賞は恥ずかしかった。
池本慎二でした。
ありがとうございました。
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この日はいつになく、緊張しました。練習は十分にしたつもりでしたが、待っている間に最初の一言が言えなくなるのではないか?と不安になってきまして、「初めての1等賞は恥ずかしかった。」と手帳にメモ書きしました。
最初の一言を話し終えると少し落ち着きます。・・・・・その後は大きな失敗なく話せたかな?と思えました。スピーチが終わり後ろに戻るとき、次の番で控え席に座っていた磯村氏が「ヨカッタネ」との表情をしてくれたのでホッと一安心できました。

終了後、先輩受講生坂下さんからはこんなことをを言われた。
「教室と関係ない話をすると先生の機嫌は悪いよ!・・まあ、でもそれで入賞(3位)したんだから・・・・」
私は意識して教室の話題を外したのですが(天邪鬼)、先生が急に怖く見えてきた(>_<)
自由題では票を得にくい。というのは前回に書きましたが、当時私はそのことにまだ気づいていませんでした。




心に残るスピーチ

・教室レポート 心のつぶやきに言葉を ・看病で交わった本心