心のつぶやきに言葉を2005

                              東京話し方教室外伝

2004年記事
目次付き

【心のつぶやきに言葉を】
魂(心)は初めから答を知っている。自分が何をしたいのかを どうすればいいのかを! 
・・人は大人になるに連れて建前・見栄・意地等々でそれが素直に聞けなくなっている。
そして、自分が何者かも分からなくなってしまう。これは本来自分に嘘をついている状態なのだ。この状態が続くと嘘をついている自覚さえなくなってしまう。そして、心の言葉を聞き取れなくなる。
 それに気づき耳を傾け聞き取る心を取り戻したとき、見失った本当の自分と会うことが出来る。


18 点数化の怪
転勤した手の頃の会話
上司(部下10名強)が一つの表を見せてくれた。
上司「これは、各人の能力表だ。複雑な業務をこなしていくためには、このように各項目、点数化して管理していかなくてはならない。池本君は、今のところ、点が低いが・・・これから経験を積んで上がって来る・・・・・・」
池本「ハァ」


ちなみに一番点が高かったのは、本人=その上司。
私は来たばかりで、そんなものかな?と素直に聞いていたが、ある種の違和感を覚えていた。
1 そんな点数化が業務を進めることになるとは思えない。この人、暇なのか?
2 自分が一番という自己採点・・・それを他人に見せる、というのがちょっと普通ではないような・・・・。

何年がたってみてやっぱりあのときの違和感は、当たっていたような気がする。

1 上司が点数化していたのは同じ場所で働く者。
一緒に仕事をしていれば、コイツに・・「この仕事は任せられる」「ちょっと無理かな?」ということは感覚的に分かってくる。
それは数字とは違うものである。その感覚を数字化した時点で多くの情報が切り捨てられ抽象化される。そんなことをしてなんの管理か!
人事部に提出するためにつくった。というのら分かる。(人事部の人間が他の部署の者を感覚的に知っているはずが無いのだから・・・・) そうではなかった。・・・・それでは、その上司が点数付けをして趣味をしていたのだ。(本人は進んだ仕事をしているつもりだろうけど・・・)

2 一緒に仕事をして・・・・その上司、10人強の中で一番業務能力が高い、とは到底思えなかった。

要は、身近な人間を点数化するという発想も変なら、その点数化する基準も変だったのだ。



17 素通りは平気でないけれど・・
昨日駅前で中学生が募金の呼びかけをしていた。
「○○のためにお願いしまーす」 ○○と書いたのは、内容が分からなかったから・・・・・
子供の頃から良く見た風景だけど、そのまま通り過ぎていく人が大半だ。
子供の頃
”何でみんな寄付してあげないのだろう。呼びかけている人がかわいそう。僕が大人になって少しでも自由なお金を持てば”・・・・・”と思っていた。

では、今はどうか?ほとんどしたことはない。
それは、中学生や大学生の頃に聞いた話の影響が大きい。
1「不幸な人を助けるのは国の責務だ。個人的に行うものではない!」
2「寄付した金がどう使われているか?それを我々が確認取れるわけじゃないから・・・・」

1は今思えば理屈が変な気がするが、
2は現実的な大人の見方のように思える。

他に自分が落ち込んでいるときは・・・・
不幸なのはこの俺だ!と腹を立てていたりする。

今、落ち着いて考えてみると・・・
「人を助けたい」とそんな気持ちは持っているつもり。ただ、不幸な人(寄付などの援助が必要)というのは数限りなくいて、その都度付き合っていると自分の方が成り立たなくなってしまう。事情はそんなものかどうか?
「自分は自分、他人は他人」と割り切ってしまう。
私を含め、ボランティアの前を素通りする大半の大人がそうなんじゃないかな?


私はこの寄付を呼びかけるボランティアの前を通るのが嫌(素通りするのは責められているように感じてしまう)で、回り道して避けたりする。
それでいて寄付をしている人を見るとちょっと暖かい気分になったりする。
矛盾しているナ!
(もっと大人になって割り切れれば=平気で素通りできるように・・・と駅前のボランティアを見ながら思ってしまった)


16 適切な自己開示が距離を縮める
「10 100%前向き人間の窮屈さ」より
>当時の私が自己開示を苦手にしていたから(このことはまた別の機会に書きます)

今回は、この自己開示について書きます。
当時、受講していた自己啓発セミナー(5ヶ月の長期)は、日常生活において改善を目指すのというものだった。ここで、パートナーを決められて、電話連絡を週2度行っていました。(話すのもセミナーのうち)
 私の相手は7歳年下の女性だったのです。
「今日は職場の近くで事故があって、驚いて・・・・・」「一昨日、父と喧嘩してしまって・・・・・」
彼女は矢継ぎ早に自分のことを話すタイプでした。(こちらがあまり口を挟むタイミングが無い。)

一息ついて
「池本さんは何か無かったの?」
「ん〜、特に何も・・・」


実際以上に年齢差を感じて(ちょっと子供っぽかった)自分のことを話す気がしなかった、という面がありました。
それに(こちらが主なのですが)男が自分のことをペラペラと話すのはハシタナイ、とそんな感覚が強かったのです。

最初の一ヶ月、こんな感じで定期連絡を含めあまり成果無く過ぎてしまいました。
私はアシスタントからたしなめられました
「池本君が自分のことを話さないから彼女は寂しい(不満)みたいだよ」

私は反省しました、そして、次の電話から、当たり障りの無いことだけではなく、自分のことも話しました。
この後、話が盛り上がることが多くなり、定期連絡が楽しくなり始めたのでした。

後に読んだ心理学の本にはこのことが書かれていました。
世間話ではなく、自分のこと(本音)を話すことを【自己開示】という。
この自己開示、女性に比べ、男性は苦手にすることが多い。
一方が自己開示をしないと、お互いの距離はいつまで経っても縮まらない。
自己開示をしない男性に女性が嫌気がさすことはよくある。


あまりにも自分のケースに当てはまるので驚いてしまったのですが・・・
(私の場合は付き合っていたのではなくて、セミナーのペアだったのですが・・・)

続いてこう記されていた。
自己開示を適切にしていければ、人との距離間をうまい具合に縮めていくことが出来るのである。


ここで言う適切な自己開示とは、時間(タイミング)的なこと、及びどんな言葉で、と言うのがある。
タイミングは、・・・早すぎるのもよくない。・・あまり早いうちから自分のことをたくさん話してしまうと、自分のことばかり話す人間、といい印象を与えない、とともに、口が軽い印象を与える懸念がある。
言葉は・・・出身大学、収入、未婚既婚、等々、直接質問しにくいようなことを、それとなく(何かのついでに話すような形で)伝えることができれば、成功なのである。


こんなのを読みながら、私は自己開示(この言葉も今回の読書で知った)が下手だったな!(自分のことを話すのはハシタナイなんてどうして思っていたんだろう(^^; と反省した。
以降、少しは出来るようになったつもりではおります。



15 間抜けぶりに後悔しながら・・・

3月は別れの季節。学校はもちろんそうだけど、職場もそうだ。同僚の多くが転出で職場を去った。それは少し寂しいものがある。・・といいながらも慣れている面はある。

そういう中で一つ、湿っぽい別れがあった。



3月30日、見覚えのある営業の人が・・・うちに納品している部品会社の人。大ベテランで商品について詳しく、昔からの経緯など物知りで頼もしくありがたかった。
隣の班の人と話をしてから、こちらに来られた。
   「池本さん、色々とありがとうございました。今月いっぱいで東京支店を閉めることになりました。・・・・・・・・」
池本「今まで、お世話になりました・・・・・・・」
その人の目が赤かった。
しかし、不覚にもそのとき名前を思い出すことが出来なかった。

その後、私の前に話していた同僚に聞いた。
池本「あの人誰でしたかね?たしか、三星部品の・・・・」
同僚「三星部品の米倉さんだよ」
池本「あ、そうそう・・・・・・・・・」



名前を思い出すとともに、さっきの場ではもう一言何か付け加えるべきだった、と後悔した。
「米倉さん、これまでいろいろありがとうございました。お知り合いにんなれたのに残念です・・寂しくなりますね。」
とか・・・転出で去る同僚とは事情が全く違い、閉店なのだから・・・
少し時間が経ってから言葉を思いつく、自分の間抜けぶりに後悔を感じた。


14 悪口だとの自覚無く

アルバイト帰り、同僚3人と喫茶店によった。内一人が、3日前の会長(父親)と専務(長男)の口論を再現した。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
会長「お前、辞めていった人間の悪口ばかり言ってなんになる。」
専務「わし、何にも悪口いうていないやろ」
会長「今、この場で言っているだろ。・・・・・・・・」


会社といっても社員4人、アルバイト10人の小さな清掃を業務とする「企業組合」である。
辞めていった2人、とは常務。一緒に組合を立ち上げた同志であったが、性格が合わないというか、その関係の対立で2人は辞めて行った。
 常務2人が辞めていったことは、組合にとっては危機であり、上記は、その対策を話していた場。まあ、親子喧嘩だともいえる。

私は会長はあまり知らないが、専務はある程度知っていた。
そして、いかにもそういうことを言いそうな印象だった。(私たちにも辞めていった常務の文句をたくさん言っていたから”無能・悪賢い・サボり・段取りが悪い・怖がり”等々)

この会話、十数年前のものであるが、強烈に印象に残っている。
それは専務の言葉である。
「わし、何も悪口言ってないやろ」
たった今言っていることでも、それを悪口だと自覚していない。・・・・・それが新鮮な驚きであった。
自分のことを少しも客観的に見ることができない=自己中心的思考・・結局そういうことだろう。

そうかといって、専務は、本人を目の前にして同じ言葉を発することはしなかった。だから、本能的には悪口だと自覚していることになるのだが・・・・。もっとも、直接言えば、その場で殴りあいになってもおかしくないような激しい言葉だったけど・・

当時驚きだったのだが、専務と同種の人間に時々出くわす。一度、前例を見ていると、前ほどは驚かない。
しかし、その人たちの自覚の無さに
【この人の思考回路は一体どうなっているのだろう】
と不快感とともに不思議に感じる。・・・そして、ああはなりたくない。自分にそんな面はないか?と思わず自問自答してしまう。



(「12」で悪口の肯定的解釈を述べましたが、上記の場合はスマートとは程遠い露骨な悪口であり、肯定的解釈はにはなりませんでした。)



13 ”誠実”と言われれば・・・・

「あなたは誠実な人だ。」と言われれば、誉められている、とも思えるのだが、もし自分が言われたとして気分的にはどうだろうか?

あるテレビドラマの台詞を思い出す・・・・・
「誠実とか暖かいという言葉は男にとって誉め言葉にならんのじゃ!」
大河ドラマ「毛利元就」の海の商人”堀立直正”(原田義雄)の台詞。
このセルフを聞いたとき、”ナルホド確かに”と思った。(自分も同じように感じたことがあったので・・)


”誠実”・・・悪いニュアンスで使われることはあまり考えられない・・この言葉がどうして誉め言葉にならないのか?
上記の台詞に説得力を感じながらも、その時は分からなかった。

後になって分かった気がした。
”誠実といって誉める”は何々に他に誉めるところ(優れているところ等)がないから、出てくる言葉である・・・・当人にしてみれば、そう受け取れる。ということだ。

「味方すれば頼もしい、敵に回せば恐ろしいヤツ」
男にとってこの評価は最高(と感じる人も多いはず)である。
”あなたは誠実だ”とはこれとは遠い人物像とも言える。・・・・やはり誉め言葉ならない。

最近読んだメールマガジンではもっと身も蓋もない記事があった。
「他に得点を稼ぐことのできる(アピールできる)点がないから、誠実で優しくしているのだ。(特に女性に対しては・・・)」

もっとも反対の「あなたは不誠実だ」と言われるのは批判されている言葉であり、あれこれ解釈する余地はない。


毛利隆元
※台詞の背景
「3本の矢」で有名な戦国大大名の毛利元就の3人息子。次男、元春は力強い武将。三男、隆景は機転の利く策士として頭角を現していた。
 そのような才のない長男、隆元はこの弟2人に劣等感を持っていた。家臣や家族(妻・母)からは「誠実・優しい・暖かい」と良く言われたが、それが隆元の劣等感を軽減することはなかった。
  ”誠実”を誉め言葉として使っている家族に対し、堀立は上記の台詞で間違いを諭している。


12 うやむやに済ますことも大人の知恵也

最近、「悪口」のことがちょっとした話題になった。その影響か、昔「悪口」について聞いた言葉、文章を思い出した。

1「本人のいないところで、悪く言うのは卑怯で良くないことだ」

2「人の悪口をたくさん言っているのを聞くと、自分のいないところでは自分が言われていると思ってしまう。そういった意味でも悪口はマイナスなのだ。」

3「悪口を言っているといい気分になることがある。これは、相手の悪口を言うことにより、相手を一段低く見て、優越感を覚える。それが快感に思えるのである。」(心理学の本より)


こんな感じの言葉はよく聞くのではないだろうか?
そして、説得力があるとも言える。私はなんとなく「そんなものだ」と思っていた・・・・・・しかし、

4「悪口は、いいんだよ。なぜなら、直接言うと、喧嘩になってしまうじゃないか。その点、悪口なら丸く収まるよ。」
(新人の頃の同僚)の言葉を聞いた。
私には、この言葉新鮮であった。そして、説得力を多いに感じた。


この言葉から考えてると「1」「2」「3」が建前、「4」が本音的要素が強い言葉に思える。
ちょっと検証してみると

「1」・・・本人のいないところが卑怯だということなら、論理的に、本人に直接言うのなら、正々堂々でいいことだ、ということなる。・・・これは変ではないだろうか!

言われる側としても、例えば
「あいつ(本人のこと)は馬鹿だ」と言われていた、と間接的に聞いた場合、それを無視することも出来るし、うやむやにも出来る。もちろん、怒って出元に抗議に行くことも可能だ。それに陰口であるので、後ろめたさを持ちながら話している、とも解釈できるのである。

これが直接「お前は馬鹿だ!」とやられたら、その場で、怒るか泣くか、何かリアクションしなければならなくなる。うやむやにも出来ない。それに、堂々といわれているのでそこに後ろめたさを見出すことは出来ない。

これを比較すると、直接言われるほうがダメージが遥かに大きいと言えるのではだろうか?=「悪口」の方がマシ、だという結論になる。



「2」 「1」に比べると意味合いは深い。初対面やそれに近い頃に、相手からの悪口をたくさん聞くと信頼感を覚えないだろう。また、悪口ばかりが多い人を見ると、マイナス思考というか”物事を悪いようにしか捉えない人”と解釈し、深く付き合う気はしてこないだろう。

では、逆に「いいこと」ばかりたくさん言う人は・・・どうか?
初対面や日が浅いときはそれでも良いだろうが・・・・・・長くなるにつれて、「表面的」「建前的」または「窮屈な人」そんな感じに捉えられてしまうのではないだろうか?

良い口(こんな言葉はないけど)にもそんな落とし穴がある・・・・・私の持論。


「3」に関しては是非を述べいるのではなくて、心理学的分析である。悪口がエスカレートしそうなとき、これを思い出すと自ずとセーブするようになる・・・・かな?


「4」私なりに解釈すると・・・・・
「人は、他人を見て批判的に解釈することは自然に起こる。」決して誉められることでないが、普通にありうることを認めてやらなければならない。そして、その場の雰囲気を乱すことなく処置できるのが、「悪口・陰口」である。
従って、その場限りで終わり、言われている本人の耳に入らない程度の悪口がスマートでありベターだと言える。(ベストは、悪口が一切ない状態・・・非現実的だけど・・)」




11 プライドの功罪
最近読んだメールマガジンに「大人になるとは、誇りをへし折られても平気になれる部分を持つようになる(拡げる)ことである。」という一説を読んだ。初めて聞く言葉だったが、説得力を感じた。
「誇り・プライド」人間として大切なもの、として価値付けされ語られることが大半ではないだろうか?
それはそうだと私も思っている。が一方では・・・・

小学生の頃見た映画では・・・西部劇だったが、プライドの高い者同士がぶつかると簡単に決闘になる。そして、どちらか一方は死ぬ(西部劇だけではなく、天才数学者ガウスは決闘によって若死にした話は有名)。・・・・・高校生の頃に見たドラマでは・・・犯罪の容疑をかけられたエリートは、「もはやこれまで」と自殺してしまう。
どちらも、そこでいったん恥を忍べば、その後の展開は開けたかもしれないのに・・・・・



小学生の頃
「人間ってプライドが無いほうが生きやすいのではない?」と父に問うたことがある。
「馬鹿なことを言うな」
と一蹴された。しかし、今再び思う、あの頃の疑問に一面の真実があったのではないか!と。


もっとも、”人間生きていればそれでいいか”と言われれば、「そうではない。」という価値観の人も多いだろう。私もそう考える。
「向上心を持つ、醜き行動を抑制する、正しき行いを心がける。」これらは誇りを持つが故に、と言えるだろうから・・・。

誇り・プライドに対し矛盾した解釈を述べたが・・・「誇り高い」ことの良い点をそうではない点を整理してみたかった。

行き詰ってにっちもさっちも行かなくなったと思ったとき、プライドを捨てれば道は開けた(例えそれがそれまで考えられなかった生き方であったとしても)。(風俗嬢の言葉・・インタビュー記事より)


10 100%前向き人間の窮屈さ

 数年前に長期(私が関わったのは1年半)の自己啓発セミナーを受講していた時期がある(「」で触れたセミナー)。ここの先輩(といっても歳は私の方がちょっと上)が印象に残っている。

 善人100%というか、セミナーにも全力投球、後輩受講生の面倒は良く見るし、アシスタントや雑用も進んでする。そして、・・・述べる感想(そのセミナーは参加者の前で感想を述べる機会が多かった)も模範的というか肯定的な言葉で占められていた。
「良いことを学んだ・・楽しかった・・・・充実していた・・・・向上した・・・・人と出会えた・・・人と関われた・・」

私は、感心していた。セミナーを肯定的に受け止め効果を挙げるとああいう感じになるのかな?と憧れた面もある。

しかし、数ヶ月立つと違和感を覚えるようになった。
今、振り返ってはっきりと思う。私は彼とたくさん会話をしたが、事務的な話、建前的な話に終始したと。

なぜ、こうなってしまったのか?
1つは・・・当時の私が自己開示を苦手にしていたから(このことはまた別の機会に書きます)
もう一つは、彼には本音を言いにくかったから・・・・


人間とは、物事(この場合は長期セミナー)に対し、肯定的・否定的の両方を感情を持つ。
これが自然ではないだろうか。


最初のうちはそんなこと感じる余裕もないかも知れないが・・・・
ある程度慣れてくると、彼の述べるような肯定的捉え方と同時に、否定的捉え方もするようになる。
「この会のここがおかしい」「先生の言ったこの部分は違うのではないかな!」「このセミナーは辛かった。」「これがなんの役に立つのか?」「分かってもらえなくて悔しかった」「腹が立った」「悲しかった」等々。
これが普通に思える。私は一緒に受講している仲間とそんな会話をたくさんした。(もちろん肯定的な話もそれ以上にしているが・・・・・)

 彼の肯定的言葉100%を聞いていると、
彼は物事を後ろ向きに捉えることはないのか?怒ったり、悔しがったりする感情がないのか?損得を全く考えないのか?不満を持つことがないのか?
これらの項目全てがYESのように見えてくる。
レッテルを貼れば「100%前向き人間」

こういった人と話すのは窮屈に感じる。また、自分が否定的に後ろ向きに考えること、感じたことを話す気になれないものだ。そして、本音というのは往々にしてそういうところにある。(前向き・肯定的な本音というのも確かに数多くある。しかし、その場合は本音と建前が一致している状態である。あえて、本音だと意識する必要はない)

セミナー受講中、彼とは一番話した部類に入る。しかし、距離は遠かった。それは多分上記のような理由からだろう。

「後ろ向きなところ、弱いところを見る・見せる」そんな場面があって、親しみが湧く・距離感が縮まる。
人間そんなものだと、彼のことを思い出しながら考えてしまう。


9 早く動いて!と思いながら・・・

後輩修了生が新年度新たな職場に新たな場所(北海道)に旅立つ。
彼は今の心境をこのように記している。

「時が過ぎるのは本当に早い。
旅立ちの日が、刻々とせまりつつある今日この頃。
○○ビルでの、あの景色も、あの機関車も、あのビラ配りも、
きっと、自分の中で、良い思いでになっていくんだろうな・・・」


京都に転勤になった6年前の自分を思い出しながら、ちょっぴりじーんときてしまった。

7年前、私はあるセミナーの途中であったが、京都に転勤。志半ば(ちょっと大袈裟)でそこを抜けた。
半年ぶりに東京に出張。次の日は偶然セミナーの日でそれを受けて帰った。

半年経ってはいたが、参加者はみんな知っていた。そして、心地よい場所だった。
セミナー終了後・・・・・
「今日は横浜で打ち上げをするよ。池本君も参加していきなよ」
何人もから誘ってくれた。
僕も一時はその気になっていたが、如何せん京都は遠い。
横浜駅でみんなと別れた。
みんなが降りた電車に僕一人だけが残った。(新横浜から新幹線)

”僕のセミナーも今日で区切りだな!”と感慨にふけっていることろ・・・
ホームに下りたみんなが立ち止まってこっちを見ていた。
見送ってくれてるんだ。・・・・でも、電車はなかなか動かなかった。(横浜駅で3分停車)

”早く動いてくれないかな。こんなシーンは苦手だよ”と思いながらも少し涙目。
・・・・・やっと動き出す。名残惜しい気分のまま、これ以上ないほど大袈裟に手を振った。


この時期、僕は京都転勤1年目。京都は実家に近いとは言え、初めての場所。業務にも慣れず、知っている人がいるわけでもない。・・・私の職場・・・転勤一年目は孤独で心細い時期なのだ。・・・・そういう心境の時
「離れたところではあるけども僕にはこんなに仲間がいる」そう思えた。
温もりを感じると同時に心強くなれる。・・・・この日、沁みるプレゼントをもらった気がした。


8 本当に悪いときには・・・

ここ1週間は風邪の週だった。
月曜から体調が悪くなり(熱が出た)、火曜日に夕方に早退し、水・木と欠勤してしまった。(いまだに完治とは言えない)
ここ3年風邪をこじらせたことはなかったので、久々だったが自分が思っているよりも回復が遅く、体力が落ちてきたかな?と余計に気分が滅入ったりだった。
病院受診待ち
 病院というところも矛盾を感じることが多い。
 重症でホントにしんどいときは病院に行く気もしない。長い時間(2時間から3時間)待たされることも分かりきっているし、家で寝ているだけ・・・ちょっと元気が出てきて初めて病院まで受診に行ける。

「いつも来ているお婆ちゃん、今日はどうしたの?」
「あ、今日は体の具合が悪いんだって」
(病院の待合室にて)
こんなお笑い話しがありましたが、笑えないって。


  まあ、だいたいこんな感じで今までやって来ました。
本当に重症なら救急車を呼ぶことになるのだろうけど・・
それはなかなか心理的には抵抗があったりしまして・・・
結局本当に悪いときは一体どうするのだろう?そこまで病気との付き合いに慣れていないということもありまして・・慣れている人アドバイスお願いしますm(_ _)m


3年間風邪をこじらせなかったことについて
・・・「眠っているときにマスクをする」この方法を取り入れてからです。
朝起きたとき喉がカラカラで痛くなっていた。・・・それまでの私はこんなことが多かった。
マスクをすると保温・保湿効果があり、喉が保護されます。・・・友人宅に泊まったときにこの方法を見て盗みました。
風邪にかかりやすい皆さん、一度試してみていただければ・・・・


7 嘘で自分が背負うべき

「本当に思っていない事でも誉めるのは良い」という論題でディベートを行った。「嘘」の是非が議論の焦点になった、なかなか面白い議論だった。・・聞きながら8年程前の事を思い出した。

 そのころ私は自己啓発セミナーを受講し、5ヶ月のセミナーを修了していた。
そこには宿題がある。「日常生活でこれをやる」と決めてそれを実施していくのである。
週に2回アシスタントに電話をかけて宿題をしたかどうかを中心に話していく、そのときに「出来なかった」と答えると叱られる。(当たり前かもしれないけど)

 後輩受講生から「今日、宿題をしていない、どうしよう!」と相談を受けた。
池本「そういう時は嘘をつけばいい。今日は宿題をちゃんとやりました。/電話でホントのことは分からないから、大丈夫だよ」
後輩「私、嘘なんてつけません。」

しばらく、説得してみたが後輩は「YES」とは言わなかった。

後輩は正直者とは言えるが、私の価値観とは違った。
「宿題をしていない」と聞けばアシスタントは叱らざる終えなくなる。このセミナー、アシスタントもプロではない。修了生のうち希望者がやっている。その人たちも、叱ることはストレスになる。それに、「宿題云々」が焦点になって次にアップしていく話にならない。

アシスタント「何で出来なかったのですか?」
受講生   「今日は忙しかったです。」
アシスタント「時間は作るものですよ。要はやる気です。」
こんな対話を繰り返していても役に立つとは思えなかった。それに定められた宿題に大きな効用があるとも・・・(私が5ヶ月間を通して感じた位置づけ)

彼女は正直に話して何を期待していたのだろう。
・宿題をしなかったことを許してもらうこと?
・出来ないことを認めてもらうこと?

後で考えて分かった。
彼女は【正直に話してしまい、宿題をしなかった後ろめたさ】という荷物を降ろしてしまいたかったのだ。そのおろされた荷物はアシスタントに投げられる。アシスタントが背負うことになるのだ。
(この場合は【宿題】という比較的軽いものだから、大きな負担になることは無いだろうが・・・)

正直者というのは正しいことをしている。と一見見えながらも、得てしてそういうこと(人に背負わせる)をしているのだ。
自分の責任で起こった後ろめたさは自分で背負うべきだ。・・・彼女との会話の後そんなことを考えてしまった。


6 意外に話せる場

昨日は、茨城県土浦市に出張した。(実は休暇を取って仕事の相手先に出向いたので厳密に言うと出張ではないのだが・・・)時間があったのでそこの理容室に入った。そこは美容室に雰囲気が近く、髪にはさみを入れながら、若い店員が話しかけ来る。
「僕は筑波の出身なんです。もうすぐ秋葉原に直通の電車が開通するから便利になる。嬉しいことです。」
「お客さん、関西ですか?こちらの比べて暖かいですか?」
等々、全く初対面であっても会話を続けさせる。

腕だけなく、口も仕事のうちということか?
お陰で私は退屈せずにその時間を楽しむことが出来た。

髪の方が終わると顔そりになる。
「担当を変わります。」と。

さっきまで、合間よく話しかけてきた店員とは違って無口だった。
「剃ります。」というそういう言葉は話したが・・・・。
そんな感じで頭を洗うまで終わった。

すると、その店員も雑談を話しかけてきた。
さっき別の店員と話したのと同じような内容(出身地の話)だったが・・・
このときになって初めて分かった・・・
”かみそりを使う顔そりの間は客が緊張する時間。だからその時間は話しかけないようにしているのだ。”ということを・・・
顔そり担当の店員も無口ではなかったということだ。
途中、席を変わる(頭を洗うときだけ席を動いた)ときに
「お疲れ様です」と3人の店員から声をかけられたが、これには違和感を感じた。
”何も疲れるようなことはしていない”

それを除けば、”心地よく散髪の時間をすごすことが出来た”とちょっと暖かい気分のひと時だった。
理容室店員・・・・彼らの会話(特に質問話法と相手の話への反応の仕方)は、初対面で雑談を楽しむ時の参考に結構なるのではないか?そんなことを感じながら・・・・


5 反省心と自惚れと

数年前に通っていたセミナーでの出来事を思い出した。
(このセミナーは各受講生が連絡を取り合いその人間関係から学ぼうという趣旨があり、一般的セミナーよりも各人の結びつきが強い)
1月下旬、日曜日、午後3時、その日1日の実習が終わり最後に感想を述べ合う時間になっていた。
主任講師(60代男性)
「昨日にAさん(受講中であるが主任講師が後継者にと期待している職員)が”もう辞めます”と言って去ってしまった。そう言われて私が彼女に課して来たことが過大であったことに気づいた(仕事量が多すぎたということ)。これは私の責任です。私は彼女にに帰ってきて欲しい。皆さん、彼女が帰ってきてくれるよう力を貸して欲しい。」(最後には涙を見せていた)

それまで、実習で笑顔だった者も多かったが、沈痛な雰囲気に・・・・
Aさんの所属するグループのアシスタント
「私は彼女がそんな悩みに気づくことが出来ませんでした。責任を感じています。」

彼女の同クラス生(何人も・・)
「私は彼女に頼ってばかりで・・・私の方は何もしていませんでした。」
「私があの時話しを聞いていればな・・と責任を感じています。」
自主的に前に出てきて反省の弁を述べた。
女性受講生は泣いている人も数多くいた。
・・・・こうなってくると懺悔合戦といえる。


私はこの時、このセミナーは修了しており、アシスタントとして参加していた。
私も同クラス生と同様に何も気づいかなかった。と反省の気持ちと寂しさも湧いたが・・・・
しかし、違和感があった。
「違うでしょ」といいたかった。そして、アニメの台詞を思い出していた。


機動戦士ガンダムより
アムロ
「ウッディさん、すいません。僕の腕が未熟なために、マチルダさん(ウッディの婚約者)を戦死させてしまいました。」

ウッディ
「うぬぼれるのではないよ!アムロ君。君一人の力で戦局が動いたり、マチルダが生きたり死んだり、そんなあまいものではないのだよ」




「私が気づいていれば・・彼女は辞めなかったかも知れない」・・・・
親友や恋人ならまだしも、ただの同級生というだけでそこまでの影響力はない。
気づいてもどうすることも出来ない。・・・現実はそんなものだ(私の経験則)。
懺悔合戦を聞きながら、私はそう言いたかったのだ。

セミナーの終わりは全員は1日の感想を述べることになっている。
「Aさんが戻ってきてくれるよう、手紙を書く・電話を掛ける。戻ってきたときは負担が軽くなるように手伝う」と
全員がAさんについて述べていたが、私だけはそのことには何も触れずに全く別のことを述べた。(少し変わり者かもしれないと思いながら・・・・)


4 アニメ映画で見た名言

2005年版では初めての映画感想です。といっても、レンタルビデオなのですが・・・・・
王立宇宙軍 オネミアスの翼、昔見たアニメ映画(テレビで見た)でリアリティと夢を調和して描いたストーリーで大変印象的だった。映像もきれく頭の片隅に残っていた。

 リアリティ・・・無気力な軍生活を送っていていたシロツグは、町で知り合った女性から「宇宙パイロットなんてすごい」と感心される。その女性にかっこいいところを見せるために次の宇宙ロケットのパイロットを志願する。(
男は女性にカッコよく見せたい、という単純な動機から一発奮起することは多々ある。

 主役シロツグの上司(宇宙軍将軍)の台詞
「昔は歴史家になりたくてな、たくさん勉強した。そんな時戦争が始まった。異人から同胞を守るため私は軍人になった。そして必死に戦ったよ。戦いながらわしは悲しかった、軍人になったことがではない。歴史を勉強したことがだ。わしの必死の戦いも人類が繰り返してきた殺戮の歴史の一コマにすぎないことが分かってしまうから・・・。」
 この台詞、私の中で大いなる名言です。
 軍人の道を選び戦いを繰り返す中、冷静に己を位置づけてしまうもう一人の自分がいた。・・・・戦争を繰り返す人類の歴史を自分も繰り返しているだけだ、と見ぬいてしまう自分が・・・・

 ラストシーン、宇宙ロケットが打ち上げられる、無事大気圏を突破する。パイロット、シロツグの声はラジオを通じて国民に届けられる。

「今、私の声を聞いている皆さん、私は宇宙にいます。・・・・私が今ここにいることが出来るのは、打ち上げに携わった人、それにここまで技術を積み上げてきてくれた先人たちのお陰です。まずはその人たちに感謝したいと思います。」

彼は、国ではヒーロー扱いされていた(マスコミがプロパガンダとしてヒーローに仕立て上げた)。しかし、そういうことにおごることなく謙虚であった。
宇宙ロケットの打ち上げは・・「そんな金があるのなら福祉に回せ」との反対コールも多い中での実施だった。そんな反対意見はあるのは承知しているが・・・「今、ここまで技術を積み上げてきた先人たちに感謝する」とのべている。

先の将軍の台詞とともに、非常に印象深くそして暖かい名言として記憶された。


3 それでも悲しい物語だアユ役 岩佐真悠子

♂「ディープ・ラブ先週が最終回だったね。悲しい話だったね。」
♀「あの話はね、アユは幸せだった。という人もいるんだよ。」
♂「沖縄でのデートを最後に、結局一度も会えずに死んじゃったんだよ。」
♀「でも、本当の愛を知ったから・・・・」
♂「・・・・」
♂「ちょっとその意見はカッコつけすぎの気がするなぁ」
♀「そういわれればそうだねぇ」


【本当の愛】とか言う言葉は、ドラマの評論だから出てくる言葉で現実には言えない言葉ではあるが(これは本論とは関係ないです)

私はどう見ても幸せな物語として解釈できなかった。
彼女も同感のようだった。

この後、HPでこのドラマのことを調べてみた。
すると彼女の言った意見「アユは幸せだった」の方が制作者の意図だったのかも知れない、と思えた。
エンディングの歌詞の中に「愛が私を救ってくれる」という言葉があったからだ。
しかし、制作者の意図がそちらであったとしても、私はやっぱり悲しい物語として印象に残った。


ディープ・ラブ
「主人公は「アユ」女子高生。ウリ(売春のことをこういうらしい)を習慣的にしていたアユは喜びも悲しみも感じない人間になっていた。ある日、心のきれいな老婆に出会う。’(ドラマの前半を見ていないので省略)・・・・・
アユは義之という心臓に病を抱えた年下の男を好きなる。
義之「沖縄に行く。青い空を見るのが夢」
アユは義之の両親に内緒で沖縄に連れて行く。それは楽しい時間であった。
しかし、義之の病状は急変し、病院に担ぎ込まれた。迎えに来る父親は、これ以降、義之にあってはならない。とアユに伝えた。

義之の手術には1000万円いるという。ところがこの義之の父親が頼りにならない。
アユは再びウリを始めた。義之の手術代を稼ぐために。それを父親に渡した。何度も・・・(実は父親はそれを飲み代に使ってしまっていた)しかし、義之とは会えないでいた。それは父親が許さなかったから。

そのうちアユは病に冒され始めた。そして、病状は悪化していった。
雪のクリスマスイブ、アユがいつも義之と会う場所だった、公園を目指した。プレゼントを持って。そこに義之が来ると予感したから。・・・・事実、義之は公園のベンチでアユを待っていた。・・・しかし、アユの病状はひどくなる一方で、道半ばにして歩くことさえできなくなってしまう。・・・アユは愛犬のパオにプレゼントのペンダントを託した。・・パオは公園に走り、義之はペンダントを受け取る。そして、アユへのプレゼント(詩入りのアユの絵)をパオに託す。・・・パオはアユのところに走って戻った。アユはもう立ち上がることができなかった。道ばたに座りなりながら、義之のプレゼントを手に持って確かめ、満足な表情を浮かべる。が、そこまでだった。そのまま倒れ込み帰らぬ人となった。
・・・・・3年後、義之は手術に成功し健康を得る。生かされてしまった。という負い目を感じながら・・・・」


2 地元人の気分

1の極楽へ行く方法は、初めて除夜の鐘をついた日のことを書きました。次の年は実家近くの西福寺で鐘をついて、その足で地元の八幡神社に初詣をしました。
ところが昨年はそれが出来なかった。大宮の友人宅に泊まったのですが、鐘をつける寺がなかった。(あったとしても知らなかった)で、神社には参ったけど鐘をつけないことがなにか物足りなく公開していた。

そういう失敗感があるので、今回はあらかじめ調べた。今暮らしているところの近くに除夜の鐘をつく寺がないのか?検索すること5回目。やっと行き当たった。
実相寺。通勤経路上に看板があって名前だけはなじみ深かった。(実際にその寺に行ったことはなかったのだけど)
実相寺
23時40分過ぎに家を出る。大晦日は大雪(この辺では)、道路にも雪が積もっていた。
ちょっと怖いながらも自転車で行く。車はそんなに走っていなかった。馴染みのある看板まで来た。地図上では確かこの次を曲がると思ったけど・・・・。しかしそこはそれ、何も自力で探し当てなくてもよかった。中学生5人くらいが、歩いて道を曲がっていった。”あれは除夜の鐘をつきに行く風だな、よし付いていこう”と。確かにその先に実相寺はあった。人はそれなりに並んでいたけど特に多いというほどではなかった(50人くらい)。

時刻は23時50分。最初の人が鐘をつき始めた。
「ポーン」なんとなく重圧感がない。
ただ、前には人がたくさんいたので様子をうかがいしることが出来なかった。
待つこと15分。僕の番が近づいてきた。そうして人が撞いている姿も視界に入ってきた。鐘は普通だったけど鐘つき棒は縄でつるしたものではなかった。木槌を大きくしたようなもので、雰囲気的にはちょっと軽い気がする。最初に感じ除夜の鐘17たのはそういうことだったのか!と納得させた。(実際に当たっているかどうか分からないけど)
ただし、この大木槌で撞くと早く済む。縄でぶら下げた棒だと、後ろに振りながら「イチニノサン」という感じで撞くのに対し、木槌式だとコンとたたくだけ。お陰でというか待ち時間は思ったよりも少なく20分でつくことが出来た。
撞いた感じもやっぱり軽い。
”やっぱり縄でぶら下げた撞き棒がいいなぁ”とは思ってしまった。

つき終わったあとは、雑煮風大根と揚げを頂いた。これはサービスがいい。雪が積もる境内で20分待っていたためか、自分で思っているより体が冷えていたらしく、温かい大根がとてもありがたかった。こういう場では酒もいただけるのだけど・・・・私はアルコールが極端に弱いので遠慮した。こういうときは飲める人がちょっとうらやましくなる。(ご利益があるかもしれないし・・)


その後、氷川元郷神社に向かった。初詣は神社でなければ・・・と個人的な感覚です。雪が積もる中を自転車で走ったけど慎重に走ったお陰か滑ったりはしなかった。途中、雪だるまがつくられているのを見かけた。子供の頃、たまに雪が積もると喜んで雪だるまを作ったりして・・そんなことを思い出したりして少し懐かしかった。

神社の近くに行くと、消防車が止まっていて警備の人が3人ほど入り口に立っていた。(お疲れ様です)
時刻は0時20分。さっきの除夜の鐘よりは並んでいる人は少なかった(30人くらい)。
境内では、昨年のしめ縄を燃やしていた。これが結構暖かくて嬉しい。
前に並んでいるのは若い夫婦と子供2人だった。知り合いを見かけたらしく
「おお・・○○さん、来てたんだ!今年もよろしく」
「これ、△△挨拶しなさい」
「おめでとうございます」

しめ縄たき火風と、ちょっと昔っぽいドラマの一シーンみたいなやりとりがあった。

やっと自分の順が回ってきた。
”神社はお祈りではなくて感謝すると効用がある”という以前の話を思い出して、”〜〜感謝します”とブツブツと呟いた。

おみくじを引いたり、お守りを授かっている人が多かった。友人たちと初詣をしたときは僕もおみくじを引いたりしたが、一人で来ているときはそんな気分にはならなかった。
行き交う人を見ていると顔が寒そうだった。確かに下は雪だし・・・体のほうは厚着して防寒されているかもしれないけど・・顔はそのまま出ているからね。そんなことを考えていると自分の顔がとても冷たくなっていると感じてきた。

帰りがけしめ縄の火の近くに立った。なんかたき火みたい。
「たき火たき火だ落ち葉たき・・あたろうかあたろうよ」と小さな声で呟いていた。

引越しが多い自分は、ここが地元だという意識は普段にない。ただ、今日は地元の人間みたいな気分に少しなれた。

(17.1.2)

1 極楽へ行く方法

一昨年の年明けは除夜の鐘で迎えました。生まれて初めてです。小さい頃(小学校に入ったかどうかくらい)に5歳年上の先輩からこんな話を聞きました。
「極楽に行ける方法を知っているか?それは除夜の鐘をつくことや。一生に一度でいい。でも、そのときはたくさんの人が並んでいるで・・・・・」
このときは「極楽」「除夜の鐘」の言葉を知りませんでした。(もちろん質問して覚えましたが・・・)家族は除夜の鐘をつきに行くという習慣が無くてそのまま忘れいました。(除夜の鐘が聞こえたときだけはそのことを思い出します)

それから30年近く経っているのかな?今回は職場の同僚、11時半くらいから出かけました。(徒歩です)同僚も初めてなそうな・・・。先輩
「ここから行くのだったら、平等院・三室戸寺・興聖寺のうちどこかになるけど・・・」と言うことで、一番遠くてちょっと山に差し掛かる興聖寺にしました。その方が人が少ないと思ったからです。
興聖寺
途中、宇治神社(世界遺産)を通りましたが、初詣を待つ人がぞろぞろと・・・。(11時50分)御神灯が明るかった。ここを過ぎると人がたくさん歩いていた人が1/10くらいに。”これはラッキー除夜の鐘も待たずにつけるかも”
なかなか聞こえないなと思っているところへ鐘の音が聞こえてきました。あれは平等院の方角!そのうち前(興聖寺)も鐘の音が・・・。そして、つき終わって寺から帰ってくる人とすれ違いました。

寺に入ります。鐘を待っている人は30人くらい。そんなに多くはない。思ったより若い人(カップルが多かった)が多かった。途中、甘酒を頂けるようだったですがアルコールがダメな僕は遠慮しました。
寺の人
「もう後、6つで百八。それで、終わり。・・・・・・・・・・といったら後の人は不満やろうな。」本音か冗談か?

「人がたくさん来る寺は百八以上鐘をついている。そして、全然来ない寺はお坊さんが一人で百八もつくのは大変出そうから少なめにしているんじゃない。」 小さい頃聞いた母の話を思い出しました。

百八をとうに過ぎたていたと思いますが待つこと20分。僕たちの順番が回ってきます。2人で鐘の前に立ってつくための紐を持ちます。お坊さん
「はい10秒前5・4・3・2・1・ついてください」。思いっきり後ろに引いて突き出します。ポーン。合掌。
後ろを見ますと、なんと、僕たちが並んだ時と同じくらい人が並んでいました。”これは終わるまでまだまだ時間がかかるな!お寺の人ご苦労様・・・”
本堂に参拝してから、興聖寺を後にしました。

興聖寺を後にした僕たちは帰路につきます。途中、先ほど通りすぎた宇治神社があります。たくさんの人が並んでいました。”そういえば年明け前から人が並んでいたし、まだまだぞろぞろと人が集まってきていました。時刻0時30分。

 同僚
「宇治上神社はライトアップしているらしい。見に行こう!」宇治上神社は今居る宇治神社からちょっと上がったところ。参道の隣の道から登りました。(参道は人が多すぎた・・・・)途中、本殿横で大きな穴があり燃やしていました。
 僕
「あれ、何を燃やしているんですか?」
 同僚「昨年のしめ縄」見てみると確かにその通りでした。恥ずかしながら僕はこういう風習を知りませんでした。
 
 そことを過ぎて上がっていくとすぐに宇治上神社。こちらの方が世界遺産に登録されて有名です。ただし、通りから少しは行った場所にあるので宇治神社に比べれば人は少ないです。  
 
 ただし、元旦は神社から酒(甘酒)が振る舞われてそれを並んでいる人が大勢でした。お陰で入り口が満員でぶつかりながら入ります。体質的にアルコールを受け付けない僕にとっては無縁のことでした。
 
 入ってみると人は若干少な目になっています。本殿では多くの人が参拝していました。ただし、並ぶほどではなかったけど。ライトアップと言ってもギラギラするほど派手な物でなく、竹や神木、建物を照らす程度で幻想的な雰囲気があります。”なんか雰囲気いいね”
 僕
「初詣は一カ所にしておいた方が良い。と聞いたことがありますね!」
 同僚
「そうそう、何カ所も行くと効果が薄れる。と言われている。」
こんな会話をして、結局参拝はしませんでした。

やや遠道をしながら家に帰りました。このときは天気が良く。星がよく見えました。(この当たりは電灯が少なく星がよく見えるほう)
同僚
「ほう、これで今日から雨になるとは信じられないな・・・」

許波多神社そして、帰宅。しかし、僕は思い出しました。こちらに来て3年。今まで毎年許波多神社に参拝していたことを。ここの神主さんは職場で講演をしたことがあります。その時の話の中で、「神社は宗教法人になっているが、私はこれは宗教ではないと考えている。神社で願を掛けたりはやめときなはれ効果はありません。神社では感謝するとすると御利益があります。たとえ感謝すべき状況に無くても・・・・・・」
こんな話を思い出しました。
”寺ではお参りしたし、許波多神社には感謝をしに行こう”と思い立って一人で向かいました。

 宇治神社ほどではないけど何人か人がいました。僕はそこで手を合わせながら「感謝」しました。(現実の状況はちょっと感謝しづらいこともあるのですが・・・・
 
 ここでも酒を振る舞われていましたが、それは頂かずに社宅に帰り着きました。時刻1時30分。

僕の初詣はこんな感じ終わりました。こんな早い時刻に初めてかな。
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「除夜の鐘をつくと極楽へ行ける」そのまま信じて大人になったわけではないが、そんな理屈とは関係なく落ち着いた気分になった。伝統的(ちょっと大げさ)なことにそんな気分を味わえたのがちょっぴり嬉しかったりもした。

心のつぶやきに言葉を


・心に残るスピーチ ・教室レポート ・看病で交わった本心